我々は生活の重力圏を逃れることは出来ない

 

 人生は常に生きることを要請してくる。それはそのまま、暮らすことの強制と言い換えられるように感じる。我々は暮らさなくてはならない。どう頑張っても暮らさないといけない。ほこりは積もるし洗い物はたまる。最近はそれがたいへんにタイギーのだ。

 自分が自分を運営することについて考えるとき、犬や猫を飼いたがる子どもにしばしば向けられるとされる「しっかりお世話出来る?」の言葉が思い出される。愛玩の側面ばかりを求めて犬猫を欲しがる子どもは、ここで動物の命を運営していくことを要請されている。可愛いだけではダメなのだ。

 僕は自分一人すら満足にお世話出来ていない気がする。調子がいい時だけ可愛がって、メリットが得られる場面ではここぞとばかりに主人のような顔をしているような気がするのだ。犬猫と違って人間はめんどくさくなってもガス室に送れないので、僕は今もこうしてここに在るわけである。

 脳みそだけになって培養液の中をたゆたう存在になりたい。コピーアンドペーストで増殖できる電子生命体でもいい。最悪トンネルに棲みつく霊体でもいい。そうなれば8枚切りのパンが売り切れていたと機嫌を損ねなくていいし、蒸し暑い日のアイロンがけともおさらばだ。