日本でのフランス式の生活


 キャバクラで働く人は日が沈むころに起きても怒られないらしい。夜型だから当然。羨ましい。とは言っても夜勤というのは人間がしていい労働ではないと個人的には思う。ラッシュと反対方向の空いた電車で帰り、大多数の、社会の主流を泳ぎ成す(肯定された)人々を横目に歩き、まるで他人のような顔をした布団に出来た、カーテンの隙間が作る「光溜まり」と共に眠るのだ。昔どこかの国がおこなったらしい、「寝かせない拷問」を思い出しながら体を横たえる。最初の数日数週間数か月はいいかもしれない、そのスケジュールが非日常であるうちは。朝からお疲れ様のビールを飲むことに愉悦を覚えるかもしれない。でも、やがて身体が荒廃してくることは目に見えている。そんな生活は悪くはないけど好きではない。

 この人間の隠れた、しかし最大の瑕疵は睡眠に関する難儀だと折に触れて感じる。就学前には寝つきが悪かった覚えがあるからそういう仕様なのだろう。日本では基本的に朝起きられない人間に人権は与えられない。日出ずる国なのでこれは仕方がないのだろう。一番遅れていた頃は明け方に眠って14時頃に目を覚ましていた。これはどこの国の生活様態なのだろうと調べたことがあって、その答えはフランスだった。フランス時間(中央ヨーロッパ時間)である。その瞬間に、今、自分の精神はフランス、具体的にはパリにいるのだという気付きを得た。京都人がパリジャン時間で生活していても何もおかしいことは無い。姉妹都市だぞ。余の辞書に入眠困難の文字はないのだ。たとえば日本が23時でもフランスはまだ16時。睡眠の尻尾が掴めなくとも全く焦る必要のない時間だ。そういうわけで事なきも得た。うそ、それは得てないです。

 それからというもの、寝つきが最悪に悪い夜を「日本でのフランス式の生活」と呼んで、その寿命に直結する齟齬を味わうことになった。自分にはそうやって、厄介ごとを解釈して取り込むクセがあるのかもしれない。集団や社会にとってのアウトサイダーストレンジャーであっても、エトランゼと読み替えてクロワッサンのひとつでも温めるような処世をやっていかなければならない。