2024年4月の撮影についてのつぶやき

 

 ・撮影によってNIKONCANONと使い分けてみたりしてるんだけどやっぱりCANONの色味がすごくしっくりくる。特に人を撮る時に。現像するときもどういう風に仕上げたいか、がすっとイメージできる。自分の視神経と脳味噌がCANONなのかもしれない。

 オービスに使われているレンズと、プリクラに使われているレンズ。どっちが人を幸せに出来るかって言うまでもないよね、なんつって。でもNIKONのZ24-120mm F4は性能が良くて気に入ってる。ボディを変えてもずっと使っていきたい。

 

 ・40ミリと50ミリを—―焦点距離が近いからこそ――頻繁にスイッチすることがあった。どんどん移動しながら会話しながらテンポよく撮っていきたいのにちょっとだけフラストレーションだった。カメラを2台持って行ってたので解消したけど両肩から下げるのはいかにもカメラマンという感じがして、しゅっとはしてなかった。普段は単焦点でいいんだけど人物撮影用の気軽に使えるRFマウントズームレンズが欲しい。

 ソニーにはF2.8通しの24-50mmが存在する。これは多分仕事で使える水準のレンズだろう。羨ましい。他社の24-50mmをみてみるとキヤノンはF4.5-6.3、ニコンはF4.0-6.3。両者ともマウントがプラ。論外。お話になりません。

 ニコンZの28-75mm F2.8もキヤノンミラーレスユーザーにとっては羨ましい存在。軽くて肩に力が入らない感じの、でもちゃんと使えてよく写るレンズ出てくれないかな……Lレンズじゃなくていいから。いやLじゃない方がいい。

 いっそのこと振り切ってRF28-70mm F2を買ってしまおうかとも思ったがいけないいけない。人生が完成してしまう。それに絶対重いし疲れるし、撮られる人に身構えさせるし。

EOS R6 mark2 しばらく使ってみて

 

 ○ここがイイ!

 ・軽くて薄くて小さい(5Dと比較して)。シノゴ持って行くときのサブにも好適。

 ・バリアングルモニターが便利。背面液晶をひっくり返して隠すことが出来るのがすごく良い。フィルムEOSに一歩近づくことが出来る。

 ・コマンドダイヤル3つあって助かる。ワンアクションでシャッタースピード/絞り/ISOを変えられるのが良い。ただ、なぜかサブ電子ダイヤル2にISO感度設定が割り当てられない。惜しい。

 ・やっぱりキヤノンの色味。しっくりくる。

 

 ○ここが気になる!

 ・モノとしての存在感に欠ける。やはり5Dや1Dほどの存在の重みは無い。

 ・造りがいささか安っぽい(ライバルのNIKON Z5/Z6と比較して)。EOSの流体デザインのよくないところが出てる気がする。 *1 R6mark2はNIKON Z5より値段高いのに造りは同じかそれ以下な気がする…………

 ・AFに100%頼ってはいけない。R6iiは賢いけど私の意思を全て汲んでくれるわけではない。自分でAFフレームを都度都度動かしてしっかり確実に合わせてから切るようにしないとダメな時も多い。自分も被写体もどっちも動く時はとくに。

*1:Z5/6/7はカクカクしてるデザインのおかげなのか安っぽさをあまり感じない。剛性感も高いのではと思える。NIKONのミラーレスにはメモリーカードスロットのフタにまで張り革というのか滑り止め処理がされているのが素晴らしい。 R6 mark2は樹脂むき出しでつるつるしてる。

20240407

 

 ・牛乳とパンを買うため22時頃外に出た。気温と湿度が心地よかった。いくつか並んだ桜は咲いていて、街灯に照らされていた。あの頃のあの時と同じ視界だと思った。

 私がどこへ出しても恥ずかしくないうつ状態だった頃。何かの用事でふと外に出た夜も桜が咲いていた。あまりきれいとは言えない光の当たり方で「結果的に」ライトアップされているような状態だった。

 今よりもっと深刻な本式のうつ状態だった私は、形だけはかろうじて人間の肉の塊だった。掛け時計もソファもテレビも掃除機もないような部屋でただ死んでいないだけだった。変な時間に起きて変な時間に寝て、スマホの小さな画面の中に無自覚に救いを求めていた。いつもタイムラインに居ると思われていた。救われるなんてことは結局無かった。ニトリのテーブルにメラミン樹脂のランチプレートを乗せていた。床に座り込んで食べていた。一日に一食か二食だった。メニューはいつも同じだった気がする。出来合いの揚げ物、インスタントの味噌汁、白米。変わった立地のスーパーで買い物をした。裕福には見えない老人や身体障害者が目につく店内だった。住んでいたエリア自体がいつでも曇っていて閉塞感に満たされた土地だった。元気があれば出来合いの惣菜をフライパンで温めた。その後フライパンでお湯を沸かしてインスタントの味噌汁を作った。お腹が空いたとしても食事をとるに値する人間だとは一文字も一瞬も思えなかった。薄い熱々の味噌汁の匂いが生きていることに対する罪悪感と紐づいた。睡眠導入剤を箱単位で輸入してシート単位でじゃらじゃら飲んだ。綺麗な焼酎で飲んだ。缶チューハイで飲んだ。カルピスで飲んだ。水道水で飲んだ。風呂に入れなかった。洗濯も出来なかった。元気な時はウェットティッシュで身体を拭いた。髪がどんどん伸びていき、いつも同じコートを着ていた。コートのポケットには本が仕舞いっぱなしになっていた。人の影響で知った小説だった。

 ・それでも、2024年の今はもう会えない人達が当時はまだいた。その意味では幸せだった。あの頃に自殺するのがやはりひとつの正解選択肢だったんだろう。

 

 ・当時の自分ともし会えたら何を話すのだろう。少し老けてるって言われるのかな。なんでまだ生きてるんだって言われるだろうな。でもね、過去の君よ聞いてくれないか。どんどんやることが増えていったんだよ、私じゃないと出来ないことが。生きることは仕方ないの連続。

 

 

カメラ買っちゃった

 

 ・勢いでEOS R6 mark2を買ってしまった。キャッシュバックキャンペーンやってたんだもん。それに普段がんばってるしご褒美。

 ずっと5Dシリーズを愛用していたので正直なところEOSの「6」には抵抗があった。格下げ感、都落ち感がある。右肩にサブディスプレーではなくモードダイヤルがあるのもすごく不満だ。

 うちの5Dはいつなんどきいかなる時でも確実に動作するのだ。100回電源を入れたら100回つくし、10000回シャッターを切ったら10000回画像が記録される。色んな所に連れて行って酷使したけどびくともしなかった。何度かゴロンゴロン落としたけどへっちゃらだったし、水たまりがあっという間に湖になるような土砂降りでビッショビショになっても乾かし切ればまた動き出した。そんなプロユースカメラとしての確実性をR6 mark2が備えているか心配ではある。

 だけど、だからといってEOS Rの「5」を買う気にもなれなかった。あまりにも値段が高すぎるうえに4年落ちのカメラを今さら新品で*1買うのは時代に追い付いていなさすぎる。mark2を待って出た途端買うほど時代の先頭を走りたいわけでもない。握り心地や操作感でいくとR5はすごくしっくり来たものの日常使いに4500万画素はややヘヴィーだ。バキバキに解像するレンズだけを使うわけではないし、どうでもいいものを撮る時に躊躇してしまう(これも貧乏性の一種なのかもしれない)。

 「7」のブランドには親しみがあったものの持ってるレンズの画角が変わってしまうのは困るので買わない。「8」と「RP」は私の持っていない小型バッテリーを使用するので候補外だった。RPのシャンパンゴールドツートンカラーはすごく良いと思ってはいたけれど。「6」と「7」の差も一眼レフの頃ほど無いようだったから「6」mark2に決めた。*2 「5」ほどではないにしろ「6」mark2にも剛性感、機械がぎゅっと詰まっている感、道具感は漂っていた。メモリーカードスロットのフタが泣けるぐらいチャチいけどね。ここだけはマジでもう少しどうにかならなかったのか。消費者を小バカにしてんのか。

 

 ・これからはイオス中級機の軽快さも楽しんでいこうと思っている。業務機然とした5Dを構える時やはりどことなく肩に力が入っていた。一眼レフのシリアスさ堅苦しさも加わって文字通り構えて撮っていた。意図せずドキュメンタリーのいで立ちだった。カメラを向けられた相手も大きな黒い機械の塊を前に多少身構えていることもあった。けどR6だともっとラフに、楽しく、にこやかに撮れるような気がする。ストラップもグリーンとかオレンジとか明るい色のカワイイものを付けたい、付けることもやぶさかではない。首から下げてみぞおちのあたりでぷらんぷらんさせていてもいいカメラだと感じる。大仰なフルサイズ一眼デジタルカメラであるところの5Dを首から下げてみぞおちのあたりでぷらんぷらんさせている時、私はそこはかとなくマヌケだった。

 

 ・イオス最初期のCMが好きだ。シルヴィ・バルタン「あなたのとりこ」が使われていて、ビクトリア・ブリナーがヨーロッパの街並みのなかを風のように撮影している。ワンハンドストラップがついたEOS 650を右手だけで構えて左手はポケットにつっこんだりしている。軽やかでスタイリッシュ。そんなふうに風景と触れ合いながら撮りたい。この気分を盛り上げてくれるのはR3やR5ではなく、もちろん1DXでもなく、R6やR8なのだと強く思う。

 

 ・今のデジタルEOSあるいはミラーレスEOSを、フィルムEOSのラインナップになぞらえてみるとどうだろう、という楽しい空想をたまにする。Rシステム誕生から今年で6年になるそうだ。EFシステムの誕生が1987年なのでその6年後というと1993年。その頃のEOSカメラは上級機にEOS-1、続いてEOS5、中級機にEOS10、EOS100、入門機にEOS 700、EOS1000というような顔ぶれだった。分かりやすくて気持ちがいい。

 EOS R6mark2はEOS10に近い立ち位置だと考えていた。EOS-1とEOS5、EOS100とEOS1000に挟まれていて、商業写真の現場ではサブカメラに使われるようなスタンダード機。もう少し後の時代でたとえるなら私の大好きなEOS55ぐらいのポジションなのではないだろうか。*3 とにかく、R6 mark2というカメラは状況次第ではメイン機になりうる、ほどよいミドル機種だということ。

 

 しばらくはアダプターとEF50mm F2.5 コンパクトマクロを着けてこまごまと撮っていきたい。何年かしたらRFレンズを買ってもいいかもしれない。RF28-70mm F2 LやRF24-105mm F2.8 Lなんかは大艦巨砲主義的でカッコいい憧れの的だけれど私とR6mark2の生活には相容れない。なんでも出来る万能アイテムは日常生活には不要なのだ。RF28mm F2.8やRF50mm F1.8などのコンパクトで気負わないレンズがいい。RF85mm F2 MACROもずっと気になっている。メモリーカードスロットのフタが泣けるぐらいチャチいけど、何年か人生を共に過ごしてみようと思っている。これからよろしくね。

 

 

*1:中古の選択肢は最初からない。

*2:EOS 6Dというとセンサーサイズが大きいだけのデクノボーだったのだ。シャッタースピードが1/4000までしかなかったことをはじめとして、センサー周り以外のほぼ全てが7Dに劣るものだった。キヤノンの「6」に対して未だにその頃のイメージを引きずっている訳である。それゆえR7を欲する気持ちも強かった

*3:55は5の直系の後継機にあたるのか、あるいは5から上下に3と55へ派生したのかとか、7は55より格が上なんじゃないかとか、このあたりの話を始めると本当に終わりがないのでやめておく。

2月3月のいそがしさと 何度か目の結局のところ

 ・嬉しい予定、悲しい予定がぎっしり詰まっていて、私は私自身の肉体を西へ東へとせわしなく移動させていた。場所と空気と周りの人間がザッピングのように次々切り替わり、私の顔色も声色もパラパラと変化した。その春先辻風の忙しさの真っただ中にいて、私は気持ちをこまめに、無風の腕の中に囲っていた。心の一角に、その無風の場所にただ置いた。

 しかし状況に引きずり回されてはいけない。ひとやすみひとやすみ。一旦座る。目をつぶる。水をひとくち飲む。カメラを構える。ファインダーを覗いて客観視。「(暇な時こそ気持ちを張って)あわただしい時こそ心を平穏に保つのがよい」、ということで落ち着こう。そして俯瞰で見ること。乖離的に見ること。この人は今こういう場にいるんだな。二本の足で地面に立つ私と、それを傍観する私。

 

 ・この時間にもいつか終わりがくるのだな、こういう時間はいつか無くなるのだな、と思うことがあった。

 ・本当に小さな――5歳ぐらいだったはず――子どもの頃に夢に出てきた川を見に行った。川は実在の川で、夢は悲しい夢だった。小さな私は双眼鏡を抱え持っていた。健気でか弱き壊れゆくもの(存在)との別れがテーマだった。現実の川は遠い昔夢で見た時よりも浅くて色が薄かった。「健気でか弱きもの」は未だに私をどこかから慕っていてあるいは待っていてくれているのだろうか。それか、今はかたちを変えてそばに在ってくれているのだろうか。

 

 ・田舎に住もうが都会に住もうが1日は24時間で、楽しい時は楽しくて悲しい時は悲しい。自分自体の存在が物理的に大きくなるわけではないのだし働いて食べて寝てする営みの、本質的な違いは(都会田舎には)無いのだろうとまた思った。

 ・自動車というものは若い男を魅了する、命を賭ける価値があるものだという神話は未だに田舎・郊外では強力な現実だ。都会の、自動車を持てない若者は何に魅了され命を使うのだろう。夜の世界だろうか、女だろうか。いずれにせよそれは夢や幻の同類である気がする。その幻はガソリンのように鮮烈に残る匂いを残すのだろうか。

 

 ・感情とその動きに対して真摯であろうと思い、突き放した誠実さを持とうとまた思った。そういう態度が他者に対する思いやりや慈しみだと私は考えている。どこまでも真摯でありたい。そう自分に願い続けて要請し続けることが私の生き方なのだろう。失いたくない。

 

2024年3月のつぶやき その2

 

 ・「大津名物 三井寺力餅」をもらった。同封の紙片ではきなこについても説明されていて、プロテイン豊富だと書いてある。お餅を食べきった後は、「白御飯にまぶしておはぎ風に又は牛乳やヨーグルトにまぜたり或いはそのままスプーン等でお召し上がり下さいませ。」ということだった。親切。

 

 ・相変わらず、実態はモダンジャズチャンネルのコミュニティFMを流しっぱなしにするのが心地よい。新聞のラジオ欄だと10行ぐらいで1日の全てを説明できるんじゃないかと思わせる内容の無さがいい。私が愛するエフエム京都α-STATION)を安価なオムニバスCDで20倍ぐらいに薄めたような局なのだ。そのエフエム京都も何年か前から終夜放送をやらなくなってしまい、少し寂しい。

 

 ・魅力屋。美味しい。

 

 

 ・真木よう子遠野なぎこも泰葉も、内にたまっているエネルギーは膨大なのにその適切な放ち先が見つかってない感じがする。もしかしたらキョンが現れなかったハルヒもこうなっていたのかもしれない。

 ちなみに。ハルヒに出会えなかったキョンは、ドラえもんに出会えなかったのび太ゼロ年代的に再解釈あるいは翻訳したかたちだという我説がある。

 

 ・山形由美『エレガンス』をふと聴き直した。繊細なフルートの音色と、若干ガチャガチャしたトラックの、調和しているのかしていないのか判然としないサウンドが、その時の考えがまとまっていない脳みそによく合っていた。良いことなのか悪いことなのか。

 

 ・「世界!ふしぎ発見」の最終回をたまたま観ることが出来た。黒柳徹子草野仁の言葉に、小学校の卒業式より感動した。疲れていたこともあって。こういう教養番組というものはどんどん減っているのだろうか。

 

 ・あんまり大っぴらに言えないけど、嬉しくてすごくありがたいことがあった。感謝。感謝の気持ちを持ち続けたいです。

 

 ・気を使わないでねと言わずにそれを伝えることの難しさ。何年にもわたって続くテーマ。

 

 

 曇り空が堂に入った京都シティ。

2024年3月のつぶやき

 

 ・先月のこと。散髪屋に行った。「ヘアトニックっちゅうのはぶっちゃけてしまえばアルコールなんだわ」「散髪で痛んだ頭皮を多少はアレしようっちゅう意味合いがあるわけ」ということだった。アレっていうのは理容師と医師が同じだった的な話の流れからいくと医療的なことだと思う。しかし散髪屋のおっちゃんと話をするのは面白い。毎回新しい知見が得られる。

 

 ・軽バンで高速道路を走った。運転していてどうにも落ち着かない。雨だったからなおさらだ。普通のクルマだったら地球の重力とエンジンの推進力を身体に感じられる。ところが車体が軽くて重心が高い軽箱だとどの方向にも重力がかかっていない感じがあるのだ。地に足がついていないというかタイヤに路面に食いついてないというか……。どうにも気が落ち着かない。もしかしたら軽飛行機の操縦感覚もこんな感じなのかもしれない、と若干の情趣がある想像をした。

 もしかしたら漫画『カブのイサキ』に出てくる登場人物も飛行機の操縦中、軽箱のそれと似た感覚をおぼえているのかもしれない。そう思った。

 

 ・新幹線の喫煙ルームに別れを告げた。「昔は新幹線でもタバコが吸えたんだよ」的な誰にも求められてない懐古話をするおじさんにならないようにしよう、と今これを書きながら静かに決意をしている。

 

 ・ある朝、起きたらどこからか笛の音が聞こえた。すごく丸い音だったので昔のシンセかと思ったがそうでもないらしい。近所の公園で練習をしている中年女性が音源だった。すごく綺麗な音なので聴いていて快かった、これからも時々ここで音を出してくれると嬉しい、ということを伝えた。女性もまた、胸がいっぱいになったような仕草をして嬉しそうにしていた。練習していたのはフォーレの曲だと教えてくれた。

 

 ・ふいに聴きたくなったのでハッチポッチステーションのオープニングを聴いた。「ハッチポッチファミリー」という曲名だったらしい。そうだったっけか。こんなにかっこよかったのか!という発見があった。そのサウンドは初期のSMAPに通ずるものがあるなと思った。ドラム、ベース、ブラスがすごく良い。打ち込みの音源も楽譜もすごく良い。

 「とってもおしゃれ エチケットじいさん いつでも元気 説教どこでも始めるけど」って歌詞が最悪過ぎて死ぬほど笑った。いつでも元気で説教どこでも始めるのはガチモンの老害だろ。

 

 ・「小岩井 ミルクとココア」、後味がゲロ過ぎる。

 

 ・デイリーヤマザキに入った。なかなか見かけることがない。店内調理らしきパンにもシールが貼られている。店内放送でもパン祭りについてアナウンスされていて、「どの料理にも使える」というような喧伝がなされていた。今年は白いスマートボウルというやつが貰えるらしい、そこで初めて知った。私好みのデザインだ。花びらみたいなフォルムのやつは私好みではない。「ビッグデニッシュドーナツ」を買う。0.5点。

 パン祭りで歯がゆいのが、必要点数集めた後にも微妙にシールがゲット出来てしまうこと。毎回6点ぐらいを捨てている。かといって次の30点を目指すのはいささかハードだし。確か2021年大会から参加しているので今年は4枚目の皿を手にすることになる。しっかし使わないんだよなあ。

 

 ・出先で天下一品に入った。なかなかの当たり店舗だった。うまい。店員さんの愛想もいい。卓上にお酢が置いてある。これは良い天一の特徴でもある。だけれども、麺を食べ終わったあと白米をスープに投じてやった。旅の恥はかき捨てだ。どう思われようと構わない。私はやりたいようにやる。自分の人生の主役は自分だから……

 

 ・印象的なツイート。

 客車が1両だけ。それを機関車1両でひっぱっている列車。